かつて、田植えの後の湯治を「泥落とし」と呼んでいたという話を聞きました。農業が機械化される前、田植えや稲刈りの重労働の後には、骨休めの旅行「湯治」が楽しみだったそうです。
今はその習慣もすっかり廃れてしまい、かつて湯治場として栄えた鉄輪は、ひなびた風情のあるまちにも見えますが、時代に取り残された寂しいまちに見えることもあります。
私はサリーガーデンをスタートする前にも、柳屋をスタートする前にも、「ここが魂の誇りをはらう波動を持つ場であるように」と書き綴っていました。それは「少しだけ日常から離れて、自分をリセットできる場所になりたい」という思いです。
心が疲れた時に美しいものに触れて、優しいお菓子や料理を食べて、柔らかい笑顔に出会って・・・・ しかも柳屋ではゆっくり温泉につかり、ぐっすり眠ることができるのです。
もしかしたら、現代人の湯治は、体のためというよりも、心のためにあるのかもしれないと、今日ふと思いました。
鉄輪の豊かな湯の恵。
明日を清々しく、自分らしく生きるための湯治。
ehko